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2006年9月30日 (土)

金木犀の香りの中で~秋を拾いに

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《カブラリ》 名詞
 バイク「スーパーカブ」で、街を、海を、山を、ブラリブラリと散歩すること。

 いちばん大好きな金木犀の季節がきた。甘い香りが届けられるよう、早速ブログに書き込むよ。
 といいたいところだけれど、見ての通り、もうオレンジの絨毯だ。

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Imgp0580_1  「百日咲くから百日紅」のさるすべりもあれば、何日か甘い香りを漂わせ、秋の訪れを告げるとともに散る金木犀もある。はかないからこそ愛おしいのか。「いちばん好きな季節は?」と聞かれたら、迷わず「金木犀の香る頃」と答えるのに。

 このブログを始めたきっかけは、こういう形で君になにか伝えるでもしないと出不精になってしまうからだ。伝えたい相手がいるからこそ、伝える内容を拾い集めようという気持ちにもなる。
 僕は本当に本だけ読んで一日過ごすなんてのが苦にならない人間だから、週末二日間部屋から一歩も出ないなんてのはめずらしいことじゃない。人混みも苦手だしね。それじゃあいけないなとも思うんだ。都会には都会の楽しみがあるのだろうし、そういう楽しみ方だってできないといけないなと反省もする。
だから、ブログに書くことで自分に自分で課題を与えたつもりなんだ。時には海を、時には街を巡り、それを君に伝えているけれど、こういうのって「続けることが大切」なんだと思うんだ。「継続は力なり」ということだね。まさしく金言だ。
 もう9月もおしまいだろう。振り返るとこれを含めて9月は三回書いたことになる。三回しか書いていないといわれてしまうのだろうか。三回も、と胸を張ることはできないな。十日に一回見当か。なんとかこれくらいでやっていきたいな。正直大変だ。


 振り返ると僕は、なにか一つを続けた記憶がない。なにもかも中途半端。子供の頃から「継続は力なり」という説教がいちばん耳に痛かった。なんとかここで挽回したいものだ。十日に一回というのか一月に三回というのか。そんなペースで続けられるといいな。

 そうそう。中途半端といえば、僕のブログ「カブラリ」は位置づけそのものが中途半端だよね。カブラリ号の「ホンダ スーパーカブ」ってファンが多いから、カブに関するブログだとかホームページってたくさんある。
 僕自身ずいぶんいろいろなURLを登録している。そういうのって、みんな「カブのメカニズム」だとか「カブの改造」だとかがテーマなんだ。僕のはカブに乗っていながらそういうのに触れないだろう。
 一方で、湘南、特に鎌倉って「鎌倉散歩」みたいなページもたくさんある。江ノ電乗って写真撮って紫陽花見てグルメして、みたいなもの。僕のってそういうのでもないしなあ。カブラリ号でいくところって、観光客ほとんどいないもの。「カブでもない鎌倉散歩でもない」その中途半端さに自分でも苦笑いしている。


 「日本初! カブで湘南の穴場を歩く」ときれいにまとめることもできるけれど、それって「ギネスに掲載!世界一ののり巻き」みたいなもので、「他の人がやっていない、やろうとしていないものなんじゃない」
だとか「日本以外のどこがのり巻き作るよ!」という評価が本当のところのような気がする。

 この間僕のお気に入りのカブのブログに「遊びにきて」なんてコメント書いたら、ずいぶんたくさんの人がのぞいてくれるようになった。この中途半端さを人目にさらすのは照れくさいけれども、そういうなにかしら「背中を押してくれるもの」がないと、出不精になって四季折々の美しい風景を見損ねてしまうかもしれない。中途半端はどう転んでも中途半端なんだから、このまま中途半端で開き直ろう。

 前回は鎌倉の銀杏の黄葉の名所に、「黄葉したときの比較のために緑の状態を写真に撮ろう」と出かけたけれど、今回はその横浜版。

 横浜方面はよく出かけていくんだ。ここまで湘南ばっかりだったけれど、なんだかんだでよく出かけているよ。都会の横浜って四季折々という風景がなかなか見つけられないからかな。取り上げたことないな。

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 今回は銀杏の名所「日本大通り」に写真を撮りにいってきた。神奈川の秋の風景というと必ず登場するところだ。

 日本大通りの「オープンカフェ」もすっかり定着したね。登場した頃おもしろがって何回か利用したけれど、最近ごぶさたしていた。この日は平日の夕方だったけれど、みんな贅沢な時間を過ごしていたよ。こういうところでお茶を飲んでいる人は格好いい。僕には似合わないみたい。たまたまカブラリ号の後ろに停まっているのがジャガーだからか、ヨーロッパの町並みのようだね。

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 ここの銀杏並木の黄葉は見物だよ。早く色づくといいな。その写真を、早く見せてあげられるといい。

 日本大通りのオープンカフェは、横浜らしいしゃれた風景として定着したね。もっとも夏は暑さも日差しもある。冬は木枯らしが吹きぬける。オープンカフェでもないだろう。これからの季節がいいだろうな。また利用してみよう。この日は平日の夕方だからこんなものだったけれど、銀杏が色づいたら休日は混むのだろうな。

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 日本大通りは何軒かオープンカフェをしているけれど、アルテリーベがやっぱり雰囲気があるな。日本大通は県庁をはじめとして、古い石造りの建物群が見物だけれど、アルテリーベの入っている建物はオープンカフェの背景にふさわしい。まさしくヨーロッパの一角のようだ。

 山下公園の前の銀杏並木も黄葉は美しい。今日はニューグランドを背景に写してみた。

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 帰り道では彼岸花も写真に収めてきたよ。これももう何日かで散るのだろうな。赤はよく見かけるだろうけれど、白がこれだけあるのは珍しいだろう。ここも横浜市内。
 横浜にだって四季の移ろいはある。「都会には四季の移ろいがない」なんてのは、目をこらしていないということか。反省しないといけないな。カブラリ号のゆったりしたスピードだからこそ見つけられる風景がある。金木犀の香りまで届けられたらどんなにいいか。

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 Imgp0692_1 気がつくとセミの声はもうしない。カレンダーも10月だ。いよいよ秋本番。次はなにが伝えられるかな。気がつくと冬になっていたりするのかな。海のシーズンが終わってからこそ、紹介してあげられる湘南の本当の姿もあるはず。多忙を理由にしてしまわずに、カブラリ号で、遠回りして帰ってみよう。

   金木犀が咲いたのは 今年は九月十九日
   暗闇迫る帰り道 僕は胸を躍らせる
   どこにあるかはわからない
   確認なんてするまでもない
   香りがなによりその存在を
   闇の中でも際立たせる
   「初金木犀の香り日」を
   記録してるといったなら 
   笑い話にされるだろうか
   一年間待ち続けた金木犀
   また一年間待ち続ける

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2006年9月19日 (火)

秋の気配~祭の前のあわただしさ

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《カブラリ》 名詞
 バイク「スーパーカブ」で、街を、海を、山を、ブラリブラリと散歩すること。

 風の温度が変わった。バイク乗りだけが知る「一足早い秋」がやってきた。
 バイクに乗ると、人よりいつも一枚二枚羽織るものが多くなる。同じ一枚のジャケットならば、その厚さが違う。バイクを降りると、正直場違いだなと感じる場面も多い。バイクに乗ってヘルメットをかぶるからこそ似合うスタイルなのだろう。
 街で浮いてしまうそんな格好は、バイク乗りの宿命なのかもしれないけれど、もちろんバイクに乗ることでの喜びがあるから我慢もできる。
 バイクに乗ることで、人よりも早く季節を感じられる。春夏秋冬、周囲の誰よりも早く季節の移ろいに気がつく。それはバイク乗りだけに与えられた特権だ。

 秋は大好きな季節。
 春夏秋冬のどれ、とたずねられたら、迷わず「秋」と答える。春夏冬は、それぞれに苦手な部分も魅力もあって甲乙つけられないけれど、いちばんというのは「秋」だ。中でも「金木犀の香る時期」がいちばんいい。9月の終わりというところか。間もなくその時期がやってくる。

 秋のどこがいいのだろう。どこを気に入っているのだろう。自分のことながら、いざ考えだすと答えが見つからない。春は生命の季節、夏はそれが盛りを迎える季節なのだろう。頂点といっていい。すると、そこからは下るばかりだ。秋は「下りていく季節」なのだろう。その「下りていく」感覚に、僕は惹かれているのだろう。
 僕の中で「明るい」だとか「華やかだ」というものは大きな評価につながらない。「前向き」であることはどちらかというと迷惑なことなんだ。「明るい人」や「前向きな人」は、正直敬遠したい。あまり近づきたくないな。
 なにかしら欠けたもの、なにかしら満たされないもの、そんなものを抱えているもの、抱えている人にこそ魅力を感じる。なにかが足りないという居心地の悪さがあるからこそ、その場所でどうにかしようともがく。その場所を少しでも居心地のいいものにしようと工夫する。居心地のいい場所では、結果として居心地の悪さを感じてしまう。自分自身がそういう人間なのだろう。だからこそ、「秋」がいちばん居心地がいい。後ろ向きの季節だからこそ、後ろ向き故に、秋という季節は僕に合っているのだろう。
 秋がいちばんお気に入りの季節である理由なんて考えたこともなかった。秋は「物思いに耽る」季節なのだろうか。自分なりの答えを見つけた気がする。

 朝晩カブラリ号に乗るのには、もうジャケットなしではすまない。走り抜ける風に秋を感じたら、そんな日は「小さい秋」を見つけにいこう。

 秋は紅葉の季節。澄んだ空気と色づいていく木々。これ以上の風景はない。いつも鎌倉や横浜の銀杏のすばらしさを話すだろう。今年も間もなくそんな時期になる。銀杏が色づいた時に、「ほら、これ」と紹介するのは簡単なんだけれど、紅葉のすばらしさは「移ろい」なんだと思うんだ。生命感あふれる緑から、鮮やかな赤や黄色に染まっていく。「移ろい」を感じるためには、まず緑の状態の銀杏を記録しておくといいかな、なんて考えて、初秋の一日、カブラリ号で走ってみたよ。

 ところどころにある「お気に入りの銀杏」を訪ねてみた。
 改めて考えてみるといろいろなところに「気になる銀杏」がある。夕方の限られた時間にすべてを回ることはできそうにないので、いつも紅葉を楽しみにいく「獅子舞」のハイキングコースにいってみた。

 途中ところどころにある銀杏を写真に収めてみた。

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 まずは鎌倉霊園近くの十二所にある十二所神社だ。今こうして見るとなんのことはない銀杏だけれど、銀杏が黄色く染まって周囲の緑色の木々から浮かびあがるとその価値がわかる。

 そして逗子ハイランドの入り口交差点にある二本の銀杏。

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 いつも僕が「銀杏の黄葉の目安にしている」といっているものだ。二本とも元気に緑色だけれど、この後少しずつ少しずつ黄色く染まっていく。この二本の銀杏が、僕に湘南地域の銀杏の様子を教えてくれる。カブラリ号に乗っていて自然と視界に入ってくる。重宝な存在だ。

 そしてカブラリ号を下りて、獅子舞のハイキングコースを歩いてみたよ。銀杏の黄葉が美しい山の上の方まで登ってみた。

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 ここも銀杏は緑色だったけれど、今回はそんな「銀杏の緑具合」を確認するのが目的だ。銀杏の黄葉が美しい季節は人がずいぶんいるけれど、平日の夕方、まだ銀杏が色づいてもいないこの日は、僕の貸切だったよ。銀杏だけじゃあない。紅葉、ここでは「モミジ」のこと、も美しいけれど、まだ色づいていなかった。

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 この時期こんな風に銀杏を眺めにきたことがなかった。新しい発見がいろいろあって、僕自身勉強になったよ。地面にギンナンが驚くくらい散らばっていた。誰一人拾う人もいないのだろう。山道には栗も転がっていた。地面をよく見てみると、立派なキノコまで生えていた。鎌倉が見せるこんな表情を君に紹介してあげられるなんて光栄だ。

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 寺や神社のある街。江ノ電のトコトコ走る街。海と潮風の街。そんな鎌倉の表情はガイドブックにいくらでも紹介されている。街外れにあるハイキングコースの足下に見え隠れするキノコなんて、なかなか見られるものじゃあない。なんの気なしに出かけたカブラリだったけれど、僕自身鎌倉のこれまで見たことのない表情を見せてもらったよ。

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 Dscn0940_1 銀杏といえば「大銀杏」だろう。やはりここは大銀杏の写真の一枚も撮っておこうと出かけてみたよ。最初の写真は獅子舞のハイキングコースから鶴岡八幡宮にいく間にある「源実朝の墓」だ。どうしてここによったかわかるだろうか。ちょうどカブラリ号の停めてある脇に、この後いい香りを漂わせる銀木犀が植わっているんだ。金木犀は見かけても銀木犀はなかなかない。もちろんまだ香りを漂わせていなかったけれど、記念写真を撮ってみたよ。

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 そうしたら、ここでも「意外なもの」に遭遇したよ。なんだかわかるかい。9月16日17日は、鶴岡八幡宮の「秋の例大祭」なんだ。この日はそれに備えて、流鏑馬の練習をしていたよ。大人たちの馬の最後には、凛々しい少年のまたがる馬がいく。緊張した少年の表情が印象的だった。

 祭というのはどこでもそうなのだろうけれど、「祭の後の静けさ」が語られるということは、それだけ盛り上がるためには「祭の前のあわただしさ」が必要ということだ。祭の前日、観客たちの見えないところで黙々と準備する人たちがいる。こういう人たちが鎌倉の伝統を支えている。今回思いがけなくそんなところを見られて、なんだか得した気分になったよ。お囃子の練習をしている人たちも、法被は着ているけれど下はジーンズだったりと、練習だけにゆったりと取り組んでいる。もしかしたら、本番以上の演奏なのかもしれない。
 流鏑馬に関わる人たちは、準備のこの時から格好がいい。本番当日こられないのが残念だ。あの少年もまた、弓を射るのだろうか。

 帰り道葉山の棚田によってみた。間もなく収穫だ。収穫後の稲藁をぶら下げる木の骨組みがわかるだろうか。収穫準備万端だ。

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 日本はやはり「瑞穂の国」だね。たわわに実って頭を下げる稲穂。黄金色に映える水田。理屈だとか論理だとかそういうものを超えて、この風景は僕たちの故郷だ。蜻蛉が気持ちよさそうに飛び交っていた。

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 何時間かのカブラリ湘南巡りだったけれど、思いがけなくいい時間だった。たまたま思いつきで「黄色くなる前の緑の状態の銀杏の写真撮っておくか」ということで出かけたけれど、こんなに豊かな湘南の表情を見られるなんて想像もしなかった。
 君にも「小さな秋」が届いただろうか。もう間もなく秋分の日だ。昼よりも夜の方が長くなる。「金木犀が香り始めたよ」なんて知らせをすぐにでも届けるようだろうな。
 いちばん好きな季節だもの、湘南の「秋の表情」を、この後もお知らせするよ。ごきげんよう。

   太陽の光を受けて黄金色に輝く棚田は
   どんな黄金よりも
   ずっとずっと価値がある
   水を貯え、生命を育み、そして恵みをもたらす
   都会生まれで都会育ちのこの僕の
   あるはずのない故郷が、湘南のここにある  

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2006年9月 9日 (土)

台風近づく~今日はサーフィン日和

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《カブラリ》 名詞
 バイク「スーパーカブ」で、街を、海を、山を、ブラリブラリと散歩すること。

 9月5日。台風が日本に近づいた。今回は上陸はない。太平洋上のはるか沖合いを、通り過ぎていく。空を見上げても台風の影響はない。雲も風も、これといって影響を受けているようには思えない。いい天気だ。はるか沖合いにあるわけだから、それが当たり前のようにも思えるだろう。そんな時に、一つだけ台風の影響を受けるものがある。なんだかわかるだろうか。それは「波」だ。太平洋上を通過する時、台風が海に及ぼす影響が、少しずつ少しずつ少しずつ伝わって、この湘南にもやってくる。きっと今日は「サーフィン日和」だ。稲村ガ崎に見にいこう。

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 いい具合にカブラリ号のエンジンをかけられた。これで稲村ガ崎に着く頃、ちょうど夕焼けのいい時間だろう。
 
 台風は波に大きな影響を及ぼす。どんなに遠くにあっても、台風による「うねり」が、湘南の海岸に着く頃には、相当な波の高さになっている。沖合いを台風が通過するその時こそ、絶好のサーフィン日和になる。

 台風があんまり近いと、それはそれでだいなしになる。単純に考えるなら、台風が近くにくればくるほど、それこそ上陸するような時がサーフィンにはいいんじゃないかと思うだろう。そんなことはないんだ。台風が上陸するくらい接近すると、あまりに波が激しくてよせる波とかえす波とがちょうど海岸沿いでぶつかって、サーフィンが乗れるような波にならないんだ。くだけてぶつかった白い波ばかりがうずまく、殺風景な風景になる。なにより上陸するようなことになったら、とてもカブラリ号に乗ってサーフィンを見にいこうなんてことにはならないだろう。バイクになんか乗れないし、稲村ガ崎にたたずんでサーファーたちを眺めてなんていられない。こっちがどこかに吹き飛ばされてしまう。
 太平洋のそれほど遠くない沖合いにあって、それでいて上陸の心配はないような今日のような日が、見ていていちばん楽しめるんだ。

 稲村ガ崎に着くと、ちょうどいい時間帯だったよ。

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 今日は夕焼けがきれいだ。夕焼け目当てのカメラマンたちが、続々と集結している時間帯だった。カメラマンがいつになく多くいた。今日はいい波だからか、サーファーたちを写しているカメラマンも何人かいたよ。

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波しぶきの様子がわかるだろうか。稲村ガ崎の展望公園のところにいても、波が砕け散ると、ずいぶん水滴が飛んできた。やはり思った通り、今日はいい波がきていた。サーファーたちも多かった。彼らはベテラン組だろうな。今日のような波だと、海に入っているだけでも怖いだろう。ましてやあの波に乗るなんてのは、自分の腕に自信がないとできない。強者たちがどんな波乗りを見せてくれるのか。しばらく堪能したよ。

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 写真でわかるだろうか。ずいぶんな波の高さだろう。稲村ガ崎の展望公園から眺めていても、波の山がくると波を待つサーファーたちが視界から消える。ずいぶん上から見ているわけだから、いつもの小さい波なら姿を見失うことはない。この日は違った。山がくるとサーファーたちが見えなくなるばかりか、しばらく見失うことになる。それだけ波が高く、視界を遮る時間が長いということなのだろう。

 サーファーたちもこの日の波は楽しそうだった。Dscn0802
 鎌倉の若宮大路のハンバーガー屋にいっただろう。あのポテトが特徴のある。あそこにいくと、いつもサーフィンのビデオが流れている。あれはハワイが舞台だったっけ。あんな感じの波がきていたよ。
 それが楽しみで見ているのだけれど、海に入り波と向かい合ううサーファーたちは、よくこわくないなと感心する。前に「サーファー
たちは海の哲学者だ」といったのを覚えているかい。自分が「これだ」と思う波がくるまでいつまででも待つ。何十分でも何時間でも待つ。ただ波と向かい合って待つ。それ以外のものはなにも見えない。なにも聞こえない。彼らの姿は美しい。人間もまた自然の一部分なのだということを教えてくれる。
 これから台風の季節。この後何回か彼らの勇姿を眺められるだろうか。

 そうそう。僕のカメラの腕なかなかだろう。コンパクトカメラとは思えないな。といっても、動いているサーファーたちを狙って撮っても無駄。彼らが波に乗ったと思ってシャッターを切ったって、写っているのは波ばかりだからね。サーファーたちの動きを見て、シャッターを切ってしまうんだ。「今度の波には乗るだろう」「ここは一回見送るかな」なんて調子でね。伊豆の水中写真と一緒さ。白状すると、結局のところ無我夢中になっているだけ。カメラの性能にすべてをまかせているというのが現実のところ。

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しばらく見ていたら、ちょうど夕日の沈む時間になった。岸にぶつかる波が生む白い泡が、夕日のオレンジに染まって見事だったよ。最初の写真は、遠くにサーフボードを抱えたサーファーが一人写っているんだけれど、わかるかな。まるで映画の一シーンみたいだったよ。

 帰り道葉山の黄金海岸によってみた。

Dscn0818  ついこの間まで夏真っ盛りであんなに盛り上がっていた海岸が、何日間かでどれだけ静かになったか。それを見せてあげたくてよってみたよ。ちょうど海に夕日が沈もうとしているところだった。

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 海の家は店じまいどころか、もう解体だ。どの海の家も骨組みばかりになっていた。あるいは土台だけか。
 「夢の跡」というところかな。たたずんでいると、夏のにぎやかさが聞こえてきそうだ。でももう9月。季節はいよいよ秋だ。

 9月の間くらいは海に潜る機会があるかな。シュノーケルも防水デジカメも、来年までおあずけかな。昼間はセミたちが大きな声で鳴いているけれど、朝晩はもう虫たちの鳴き声がうるさいくらいだ。季節が移り変わっていく。夏がいってしまう。秋がやってくる。
 僕のいちばん好きな季節は秋だけれど、いざ去っていこうとすると、夏が惜しくなる。9月をどう位置づけよう。夏の終わりとするのか、秋の入り口とするのか。一日一日印象が変わっていく。あと一度くらい、「海にいったよ」なんて話をしてあげられるかな。

 いよいよ「秋」となったなら、カブラリ号で、「小さい秋」を見つけにいこう。湘南や鎌倉の景色で見つけた「小さい秋」を、その時は君に伝えるよ。では、ごきげんよう。

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